福島原発で放射性物質が漏れたとき、
一般人が1年間に被曝しても大丈夫な量は、
(法律と私) 1ミリシーベルト
(解説者) 100ミリシーベルト
参考;(政府)「直ちに健康に影響はない」
と大きく違いました。
これでは普通の人が迷うので、
「違いの原因」だけ解説をしておきます。
まず、
100ミリシーベルトを支持する専門家は、
国立研究所系研究者、
京都大学、
長崎大学、
東芝関係者などに多いようですが、
その一人は、
かつて長崎大学におられて、
今、京都大学の渡邉正己 教授です。
わたくしは 普通このようなことを論じるときに、
個人名を挙げません。
それは、
内容を批判することがあっても、
人間を批判したくないからです。
しかし
今回の場合は はっきりと発言しておられますことと、
ここでは渡邊先生を批判するのではないので、
先生のお名前を挙げさせていただきました。
先生が3月20日に発言されたことは 次のようなことでした。
「100ミリシーベルトで健康に害を与えると仮定しても、
発がん率はおよそ100人に1人。
放射線の被曝がなくても
100人のうち50人はガンになるので、
あまり影響はないと予想されます。」
これは先生のお考えであり、
わたくしの考えとは違いますが、
だからといって
先生のお考えが間違っているというわけではありません。
わたくしと違うということです。
それでは何が違うかを整理してみたいと思います。
「人間はがんで死亡するのが、
人口の約半分なので100人に50人はガンで死ぬ。
だから放射線に被曝して
100人に1人だけガンが増えたからといって問題ではない」
というのが先生の趣旨です。
これに対して、
わたくしは次のような例を考えます。
(1)
「どうせ人間は100人に100人が死ぬのだから、
交通事故で死んでも問題はない。
それに、
交通事故の死者数はわずか10万人に5人だから、
交通事故対策等はやらなくてよい」
(2)
「飲酒運転をしても、
交通事故死の10分の1にしか過ぎない。
まして
その数は100万人に5人だ。
だから飲酒運転を取り締まる必要はない」
どうせ人間は100人に100人が死ぬのだから
交通事故で死んでも病気で死んでも同じであると言えば、
それは そうかもしれません。
渡邊先生は このように考えておられると思います。
しかし、
社会が交通事故を何とか無くそうとしているのは、
人間が自然の中で死んでいくのは仕方がないが、
幼い子供や青年が、
また、
仮にお年を召した人でも、
やはり 交通事故で亡くなるというのは
悲惨なことだと日本社会は判断していると思います。
次に、
飲酒運転による交通事故死は、
交通事故全体の10パーセントに過ぎません。
ですから、
飲酒運転で犠牲になる方は年間「たった」500人です。
確率的で言えば「100万人に5人」にしかすぎません。
100万人に5人しか被害を受けないものを
メディアが騒ぐというのも問題かもしれません。
しかし、
お酒を飲まなくても運転できるし、
お酒を飲めば交通事故が多くなるのです。
だからたとえ50人増えるにしても、
日本社会は何とかそれを食い止めようとしてきたと
私は思っています。
このような通常の社会的な災害に対して、
100ミリシーベルトの放射線を浴びると
100人に1人がガンになるわけですから、
約1億人の日本人を考えれば、
100万人がガンになる ということになります。
現在では
福島市の約半分が かなり危険な状態にありますから。
放射線を浴びている人たちの数は100万人程度です。
従って、
福島県だけを考えても、
1万人の人が
放射線の被曝でガンになる ということを渡辺先生はおしゃっています。
確か事故の福島県の100万人の人は、
最終的にお亡くなりになる時の原因は
ガンが50万人ということになりますが、
お年を召して自然にガンで死亡されるのと、
福島原発から出た放射性物質を浴びて
ガンになって死ぬというのは大きく違うと私は思います。
まして、
「時期の問題」を考えると、
放射線による疾病の調査のほとんどは20年間ぐらいなので、
現在の赤ちゃんは、
仮に1ミリシーベルトの放射線をあびると、
20歳ぐらいまでにガンになる ということになります。
わたくしは、
渡辺先生と考えが違うのは このように思うからです。
もう一つの違いは、
飲酒運転というのは
「してはいけないことをする」という問題でもあります。
今回の原発事故は、
原子力に関係してきた わたくしにとって見れば、
原子力が
「してははいけないことを してしまった」と申し訳なく思っています。
「原発を運転すれば必ず放射線が漏れる」ということが
最初から判っていて、
その上で
「国民は電気がいるという理由で原発を認めていた」というのなら
少し違うのですが、
原子力の関係者は今まで
「原発から放射線が漏れることはない」と言ってきたわけですから、
今はせめて
付近住民の方に安全な情報を早く伝えることと思います。
「してはいけないことによって出た放射線でガンになる」ということは
わたくしには
「してはいけない飲酒運転をした犠牲者」と同じと考えるからです。
また、
わたくしは、
「100人に1人」という数はかなり高いように思います。
親の気持ちなれば、
1000人に1人でも危ないと思い、
1万人に1人ぐらいになれば、
何とか防いであげることができる と思うのではないでしょうか。
渡邊先生と同じ長崎大学の先生は、
「100ミリシーベルトで、
100人に0.5人しか がんにならないので
大したことがない」というふうに発言されていました。
渡邊先生とほぼ同じ数値です。
わたくしは交通事故が
「1万人に0.5人」ということを考えれば、
これも100倍の危険ですから、
非常に大きな値ではないかと思います。
ちなみに、
福島県全体のことを考えると、
すでに
汚染が開始されてから1ヶ月になろうとしていますが、
空間の放射線量が
1時間あたり2マイクロシーベルトぐらいのところは、
1ヶ月経ったところで、
空間放射線から1.5ミリ、
内部被曝が1.5ミリ、
水から1.5ミリ、
食品から1.5ミリで合計6ミリシーベルトぐらいになっています。
それに、
自然放射線0.12ミリ、
胃のレントゲン0.6を足して
約7ミリシーベルトが1ヶ月後に放射線がゼロになったとしての被曝量です。
被曝によるガンの発生が
受ける放射線の量によるとしますと、
100万人あたり700人のガンがでることになります
(渡邊先生の予想を比例計算)。
このように整理していくと、
渡辺先生とわたくしとは、
放射線を浴びることによって
どのくらい ガンになるかという「科学的事実」については見解はほぼ同じです。
違いは「危険」と感じる程度が違います。
おそらく、
渡辺先生は
100人が50人とか 100人がガンになるような場合が
「危険領域」とご判断されていると思いますが、
私は 100人中1人でも ガンになるというのは
「大変なことだ」と考えているという感覚の問題かもしれません。
この判断は、
読者の人が ご自分のお考えに合わせて 判断するべきものと思います。
政府やメディアは
「1万人に1人ぐらいで騒ぐのは風評だ」と言っていますが、
騒がない方が風評のように思います。
さて、
このことで二つ考えるべきことがあります。
一つは、
一見して科学者の間で、
科学的事実の解釈に差があるように見えても、
よくよく見ると 科学的事実は一致していても、
「人生、
健康、
思想、
政治的立場」で
差がある場合があります。
このようなときに
専門家は お互いに非難することなく
「どこに考えの差があるのか」ということを
はっきり言ったほうが
聞いている方は よくわかると思います。
もう一つは政治の問題です。
かつては、
日本に資本主義を支持する人と
社会主義を支持するグループがあって、
国会では与党と野党を形成していました。
こんどのような時には、
資本主義を支持する与党の人は どちらかというと
原発推進の立場から
「このくらいの放射線なら大丈夫だ」という発言をし、
それに対して、
社会主義で野党の人は庶民を守ると言う見地から
「危険だ、
政府は隠している」と追及して、
それが あるバランスになっていたように思います。
また
メディアの中でも政府に批判的なメディアがあり、
国民が放射線を浴びるのは良くない ということを基本に、
紙面を作り、
それが政府を動かしたりしました。
しかし
最近ではメディアも含めて オール与党のようになったので、
今回の件でも
政府の発表等を鋭く追及する力が弱かったようにも思います。
特にわたくしは、
発電所周辺の海で
基準値の3355倍の放射性ヨウ素が見つかった時に、
保安院は
「直ちに健康に影響はない」と記者会見で言っていました。
政府は 明らかに不適切なことでも 言うこともあります。
それに対して、
もし、わたくしが そこにいたら、
(1)
それならば 何万倍になれば危険になるのですか?
(2)
健康に影響がないということは
原発の近くの海で 子供を海水浴させてもいいのですか?
という質問をしたと思います。
これを考えても
政府発表に対しての 記者の方の追及の力が弱いように思います。
わたくしは
それこそが メディアや学者の役割と考えています。
(平成23年4月2日 午前9時 執筆)
武田邦彦