文部科学省「デジタル教科書推進ワーキンググループ」への提言書
2025-09-04 10:30:24
文部科学省のデジタル教科書推進ワーキンググループ へ、以下の提言書を送りました。国際的なアクセシビリティに関して日夜開発と普及を進める当会の立場からの技術的な提言です。
文部科学省「デジタル教科書推進ワーキンググループ」への提言書
2025年9月1日
日本DAISYコンソーシアム
基本方針1: [教科書とリーダー(閲覧ソフト)の分離]
教科書のコンテンツと、それを閲覧・操作するリーダーを技術的に分離し、どの会社が提供する教科書であっても、どのリーダーでも閲覧できる環境を整備する。
背景と目的
- 教育現場におけるアプリケーションの乱立を防ぎ、運用コストと学習者・教員の負担を軽減する。
- 教科書会社を過大なソフトウェア開発・維持の負担から解放し、本来の強みである良質な教育コンテンツの創造に経営資源を集中させることを可能にする。
- コンテンツとリーダーの分離という考え方は、海外でも採用されている。例えば、韓国ではかつて政府主導で標準リーダーと教科書コンテンツを分離する体制が構築された(ただし現在では出版社ごとのWebアプリ型によるAI教科書に移行している)。米国では障害のある生徒のためのNIMAS(国家教材アクセシビリティ標準)で提供されたデータが、EPUB、DAISY、点字、大活字版など各種の高品質のアクセシブルな形式に変換して利用されている(NIMAS Specification Updatesを参照)。
基本方針2: [アクセシビリティの重視]
教科書は、視覚・聴覚・認知・身体など多様な障害のある児童生徒にとって利用可能であることを前提とし、構造化文書・音声読み上げ・キーボード操作対応、各種支援技術との接続性の確保など、国際標準に準拠したアクセシビリティ設計を必須とする。
背景と目的
- 国際的にはWCAG(Web Content Accessibility Guidelines)やEPUB Accessibilityなどのガイドラインがデジタル教育資料のデファクトスタンダードとして広く採用されており、障害者権利条約を批准する日本を含む192か国および米国においては、児童生徒の教科書教材へのアクセスの保障は、関与するすべての団体の法的義務となっている。日本のデジタル教科書も、公共財として、こうした国際的な要件を完全に満たすべきである。
基本方針3: [レイアウト機能の合理的制限]
学習効果が実証されていない過剰なレイアウト機能(アニメーション、装飾的配置、独自スクリプト等)は排除し、学習支援・再利用・相互運用性を優先した設計とする。
背景と目的
- 中室教授の著書(「学力」の経済学)では、「どこかの誰かの成功体験や主観に基づく逸話ではなく、科学的根拠に基づく教育を」という主張がなされている。現時点において、複雑なレイアウトが学習効果を高めるという根拠は存在しない。一方、日本の教科書のレイアウトがどんどん複雑になっているという研究は存在する(T. Takeuchi, ”Testing the hypothesis that “the design of school textbooks in japan becomes increasingly similar to that of magazines” and presenting examples of future school textbook design”, 19th International Technology, Education and Development Conference, 2025)
- 「デジタル教科書推進ワーキンググループ 中間まとめ」には、「現在、教育委員会等における教科書採択のプロセスにおいて、本来教科書ではないQRコード先のコンテンツを調査研究の対象としたり採択の考慮事項にしたりする割合が大きくなっている状況や、その状況に鑑みて教科書発行者が編集段階でQR コードを増やしている状況は、教科書の内容に応じて採択すべき教科書を判断するという採択本来の趣旨に照らして望ましいことではない。」という指摘がある。レイアウトが過剰になるのも採択の影響だという可能性があり、学習効果が実証されていないものが採択のとき優先されるという傾向があるとしたら好ましいものではない。
推進すべき施策
1. 電子化文書形式の標準化
- デジタル教科書に採用するファイル形式を規定し、EPUB及びEPUB Accessibility を基本としたデジタル教科書標準を開発する。
- この標準は、構造化、ナビゲーション、読み上げ、外部メディアの参照などを包括的に定義するものとする。
※ EPUB のバージョン3では、動画・音声などの大容量メディアを外部リソースとして参照する仕組みが最初から許容されており、ファイルの肥大化を回避することが可能である(EPUB Publication3.0の5.3 Publication Resource Locationsを参照)。従って、EPUB 3を採用すると電子教科書が肥大化するという懸念は、仕様に対する誤解に基づくものであり、正当なものではない。
※ 米国ではNIMAS(国家アクセシブル教材標準)が制定され、DAISY/NISO Z39.86を技術的中核としたマスターデータの提供が出版社に義務づけられている。この義務は紙の教科書を出版する場合にもデジタル教科書を出版する場合にも課されている。
※ 多くの国・地域で、アクセシブルで相互運用性の高いデジタル出版形式としてEPUBが広く用いられており、教科書分野でも導入事例が増えている。例えばフランスでは、学校向け教育ポータルÉduthèqueを通じてGallicaに収蔵された書籍等をEPUB形式で提供している。
2. リーダー機能ガイドラインの策定
- デジタル教科書閲覧用ソフトウェアに求められる機能を明文化したガイドラインを策定し、アクセシビリティ、学習記録、個別最適化支援、1EdTechのPNP(Personal Needs & Preferences)対応、セキュリティなどを包含する。
※ 海外では、特定ベンダーに依存しないオープンな閲覧環境を確保するための指針が整備されており、教育機関は最適なリーダーを自由に選択できる。
※ たとえば米国カリフォルニア州では、音声読み上げ、キーボード操作、文字サイズや配色の変更、画像の代替テキスト、理数系コンテンツの表示などを含む詳細なアクセシビリティ要件が定められている。
3. 準拠性検証ツールの整備
- デジタル教科書が規定された標準に従っているかを確認するバリデーションツールを開発し、出版社・自治体・検定機関が活用可能な形で無償提供する。
- このツールにより、形式的な仕様準拠だけでなく、アクセシビリティ項目のチェックも可能とする。
※ 国際的には、EPUBの構文検証にepubcheck、アクセシビリティ検証にAce by DAISYなどのオープンソースツールが広く利用され、デジタル教材の品質とアクセシビリティ確保に貢献している。
ワンソース・マルチユースとそのメリット
アクセシブルな教材提供における国際的な潮流は、ワンソース・マルチユースの原則に基づいている。これは、構造化された単一のマスターデータから、通常のデジタル教科書、点字版、大活字版、DAISY版(マルチメディア版、音声版、等)など、多様な形式の教材を効率的に生成する体制を指す。
しかし、現在の日本には、この一元的な制作・提供体制が存在しない。その結果、紙の教科書、デジタル教科書、拡大教科書、DAISY教科書、点字教科書、各種「音声教材」等が、それぞれが分断されたプロセスで多くの重複作業を発生させながら個別に制作されている。
本提言でいう標準化は、この分断された状況を乗り越え、すべての学習者が必要な形式の教科書に迅速かつ公平にアクセスできる、一元的で持続可能な体制を構築するための基盤となる。
提言の実現に向けて
本提言が示す改革は、日本の教育における大きなパラダイムシフトである。その実現には、拙速を避け、関係者間の幅広い合意形成を前提とした、段階的なアプローチが不可欠である。
特に、国際標準に準拠したデジタル教科書標準の策定は、その技術的な詳細と教育的な要件について、透明性の高いオープンな議論の場で検討されるべきと考える。その議論には、国の関係機関や出版社だけでなく、多様な利用者の視点を代表するアクセシビリティの専門家、IT技術者、そして教育現場の関係者が参加することが、真に有益な標準を策定する上で不可欠であると考える。
国が定めるべきは、特定の技術や製品ではなく、すべての学習者の利益に資する公正なルールそのものである。このルールの下で、民間が自由に創意工夫を発揮できる環境を整えることが、日本のデジタル教科書を国際的なレベルに引き上げ、質の高いアクセシブルな各種の教材をタイムリーに提供するための、最も現実的で持続可能な道筋だと考える。